2009年9月20日日曜日

今日買った本

今日は、上野泰也(2008)『デフレは終わらない』東洋経済を参照しながら、Excelをつくっていました。

僕がいままで読んだ経済書のなかでもかなり質の高い部類に入ります。

この本はリーマンショック以前に出版されたものですが、「いざなぎ越え」と呼ばれてもてはやされた「戦後最長の景気拡大」の限界を見事に指摘しています。

特に、「格差拡大」の背景にある雇用状況の変容を指摘した第1章がナイス。統計データの使い方も鮮やか。とても参考になります。


あと今日はジュンク堂に行って本を買ってきました。

買ったのは、

篠原一(2004)『市民の政治学』岩波新書
中谷美穂(2005)『日本における新しい市民意識』慶応大学出版会
日本経済新聞社編(2007)『地方崩壊 再生の道はあるか』日本経済新聞出版社
高原基彰(2009)『現代日本の転機』NHK出版

です。

最近は、行政改革や地方自治の文脈から、「市民」の果たす役割に少し興味を持っています。
「いまさら何を」という感じもありますが・・・(笑)

「市民」って概念は、左っぽいし古くさいので敬遠していたのですが、コミュニティが衰退し、行政が小さくならざるを得ない状況下で、「市民に頼るしかない」ところもあるのかもと思い始めています。

ポストモダン=成熟社会においては、国・地方、公私・官民という既存の政治行政システムは機能不全に陥ります。これらの領域区分に基づいた役割分担構造はどんどん再編されてくるでしょう。その発端が民主党政権の誕生だと思います。

国・地方、公私・官民の再編のなかで「市民」はどんな役割を担えるのか、その問題について少し考えてみることにします。

2009年9月19日土曜日

ブックオフばんざーい

僕は古本屋さんのブックオフが大好き。

欲しかった本が、ブックオフに半額で置いてあった時のホクホク感といったら・・・。

たまりません。

あとは、定価で買うのはちょっとな~と思ってた本が、100円で売ってるなんてこともよくあります。

そのときは即買いですね。

ふつーの本屋さんにはない、アクシデントな出会いがあるブックオフ・・・。

さいこーだぜ!

そんなブックオフ大好き院生の僕は、昨日、今日と二日連続でブックオフ行ってきました。

昨日は町田店で、

・上野泰也(2008)『デフレは終わらない』東洋経済
 ⇒定価1600円が850円!

・三國陽夫、R・ターガート・マーフィー(2002)『円デフレ―日本が陥った政策の罠』東洋経済
 ⇒定価1800円が950円!

・島田晴雄、渥美由喜(2007)『少子化克服への最終処方箋』ダイヤモンド社
 ⇒定価1800円が950円!

・パトリシア・アバディーン(2006)『メガトレンド2010』ゴマブックス
 ⇒定価1800円が100円!

を購入~。

今日は目白店で、

・玄田有史編(2006)『希望学』中公新書ラクレ
 ⇒定価680円が350円!

・駒村浩平(2009)『大貧困社会』角川SSC新書
 ⇒定価700円が400円!

・新原浩朗(2006)『日本の優秀企業研究』日経ビジネス人文庫
 ⇒定価762円が450円!

・櫨浩一(2006)『貯蓄率ゼロ経済』日本経済新聞社
 ⇒定価1800円が100円!

・玄田有史(2001)『仕事のなかの曖昧な不安』中央公論新社
 ⇒定価1900円が100円!

を購入~!

定価総額12842円が、4250円で買えました~!


・・・・あれ? でも4250円も買ったのか・・・。

おかしいな。ちょっと買いすぎたような・・・。

まーともかく、安いですよね。

ブックオフいつもありがとよー。

2009年9月16日水曜日

さようなら、自民党 こんにちは、民主党

今回の政権交代の影響で、日本政治について調べたり、勉強したいなと思っている人が増えているかもしれない。

その人たちに、僕が一つだけアドバイスさせていただくとしたら、「日本政治の教科書や自民党に関する本は買わない方が良い」と言いたい。

その理由は2つある。

① そもそも超つまらない(例外的に良いのもあるけど)

② 賞味期限切れ(期限は今日まで)
つまりこういうことだ。

1955年の自民党の結党から、2009年9月16日の今日まで、「日本政治=自民党政治」だった。つまり、戦後日本政治のゲームは、自民党がつくったルールによって支配されてきた。

文学や芸術は悠々と世紀を越えて生き残っていくが、政治はそうはいかない。

どんなに良いルールをつくっても50年も立てば、ルールは時代遅れになる。

そして時代遅れのルールに基づいたゲームは腐る。
ふつう腐ったゲームをやっているヤツは、民主主義の自浄作用、つまり政権交代によって退場させられる。

でも日本では政権交代が起きなかった。
その理由はいろいろあるが、最も大きいのは以下の二つだ。

①日本の選挙制度が政権交代が起こりにくい中選挙区制だったこと

②自民党のカウンターパートの社会党が、選挙において議員定数の過半数に達する候補者を立てられなかったこと

まず、①に関しては、自民党が一時的に下野していたとき93年に、選挙制度改革で中選挙区制から小選挙区制に変更されたことによって解決された。

次に、②に関しては、民主党が誕生し、自由党との合併などを通して規模の拡大に成功したことによって解消された。
このようにして徐々に2大政党による政権交代の土壌が整い、ついに今年9月の総選挙で政権交代が実現したのである。

今日の民主党政権誕生によって、日本政治のゲームは変わった。

冒頭に「日本政治の教科書を買うな」と言ったのもここに理由がある。

すなわち、これまでの日本政治研究は自民党研究であり、民主党による政権運営を考える上では基本的に役に立たないのである(ただし持っている人は捨てないように。自民党が復活する日が来るかも知れない)。

たとえば民主党政権誕生を前にして、長年日本政治に強い影響力を及ぼしてきた事務次官会議が廃止された。http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2009/09/20090916s01.htm

このようにして民主党はどんどん日本政治のゲームを変えていくだろう。

それでは今後政治を勉強したい人は、どこで情報を得ればよいか。
この点に関して、私は、2つのことが重要になると考えている。

まずは日々の政治関連のニュースを丹念に追うこと。

そして2つ目が、イギリスの政官関係の勉強をすること、である。

一点目に関しては言わずもがな、だと思うので省略するが、二点目に関しては説明が必要だろう。
民主党政権における政策過程を考える上で、非常に重要な位置を占めるのが、菅直人氏が担当大臣となった「国家戦略局」である。http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009091600746&j1

国家戦略局を中心とする政策決定過程の基本構想をつくったのは、菅直人である。
菅は、政権交代が現実味を帯びてきた今年6月に、「イギリス型議院内閣制」の調査を行うとしてイギリスに飛んでいる。http://www.n-kan.jp/2009/06/post-1917.php

ここで国家戦略局の基本構想を一気に固めたと考えられる。
つまり、民主党政権の政策決定過程は、イギリスをモデルケースにしている可能性が高いということである。

今後の日本政治を考える上で、イギリス政治はかなりのホットトピックになるだろう。
政治について勉強するにしろ、しないにしろ、鳩山内閣誕生という日本政治の転換点に居合わせたことはなかなかラッキーなことだと思う。

おそらく「今日まで生きててよかったなぁ」と思っている、老齢の政治学者はたくさんいるだろう。

これから政治は間違いなくおもしろくなる。
日本政治の教科書も書き換わる。

民主党、おめでとう。
これからがんばってください。





2009年7月21日火曜日

学者はいかに病と向き合うか

さきほど録画しておいた、「物理学者 がんを見つめる ~戸塚洋二 最後の挑戦~」(NHK)を見ました。

静かな感動が胸に迫る、上質なドキュメンタリー作品に仕上がっていると思いました。

このドキュメンタリーは、戸塚さんが、がんになってから書き始めたブログを中心にして構成されています。

ブログといっても、単なる闘病記ではなく、一流の物理学者である戸塚さん特有の死との向き合い方が記されていて、とても興味深かったです。

僕は、腫瘍の成長の推移や服用している抗ガン剤の副作用について、ご自身でデータを集め、緻密な分析を行っていることに驚かされました。
また戸塚さんが、死期が近づくにつれ、「死とは何か」、「自分とは何か」、「宇宙とは何か」といった問題を考えはじめるようになり、

ドキュメンタリー後半では、がんの転移が体中にひろがり、症状が深刻化していく様が描かれています。ただ、僕にはその様子があまり悲壮感がただよったものには見えませんでした。
その理由は、戸塚さんが一貫して、「一歩引いた視点」から、自分をみつめ、がんを見つめていたからだと思います。

一流物理学者の死との対峙を通して、人間にとって死とは何かを考えさせる良作です。
戸塚さんのブログも一級の読み物だと思います。

ちなみにこの作品はNHKオンデマンドで視聴できますので、興味をもたれた方はぜひ・・・。


2009年7月19日日曜日

大学院の1/4が終わりました

 先週いっぱいで、今期の大学院の授業が終わりました。今期から論文を書き始めるつもりでいたんですが、結局は問題意識を固めて、リサーチデザインを整えるだけで7月が来てしまいました・・・。不覚です(苦笑)。

 でも、時間をかけてリサーチデザインを突き詰めることによって、いままで意識下にあって言語化することができなかった、自分の問題意識のコアの部分がわかるようになりました。

 僕は学部時代、政治学を勉強の中心に据えていました。しかし、大学院では、政治学だけではなく、政治・行政・経営に関する組織の意思決定について研究を進めていきたいと思っています。その理由は、自分自身の興味が、ディシプリンとしての政治学の「深み」にはまることではなく、政治学で得たフレームワークを使って、現実社会に関わる政策課題を分析したり、制度設計を提言したりすることにあったからです。

 いま振り返ると、僕が学部時代に政治学に興味を持った最大の理由は、政治学が政治というブラックボックスのなかに、合意形成と意思決定のメカニズムを見出そうとしていることにあったのだと思います。一つの政策を決めるにも、さまざまなアクターがそれぞれの思惑を持って、政策過程にコミットします。多くの場合、政策決定の主導権をめぐる争いがありますが、その争いもさまざまな調整と妥協が行われるなかで、最終的には一つの政策案に収束します。

 合意形成と意思決定をめぐる「調整と妥協」といっても、その背景には、政策決定に参加するアクターの個性、アクター間の関係、アクターが所属する組織、そしてアクターの活動を拘束する制度といったさまざまな変数があります。すべての政策は、これらの変数が複雑に関係し合うなかで生まれます。そして裏を返せば、アクター・組織・制度の三者の関係をうまくデザインできれば、合意形成と意思決定のプロセスを変えることもできるということです。

 合意形成と意思決定のデザインは、政治だけではなく、二人以上のアクターが関係するすべての組織・集団に関わる最も重要な課題です。僕は、この課題を、政治という領域を越えて、「組織の普遍的問題」として考えていきたいと思いました。そして、行政と民間のさまざまな組織の意思決定を分析することを通じて、最終的にどのような制度設計をすれば、より合理的な合意形成と意思決定に近づくことができるかを提言していきたいと思います。

 もちろん、組織の形態やケースに応じて異なる合意形成・意思決定を一般化して論じることは難しいと思います。しかし、組織・ケースをパターン分けして、それぞれにとって最も適切な設計といったものを提言することはできるでしょう。とりあえず、僕の大学院の研究テーマはこんなものになりそうです。

2009年6月15日月曜日

政策評価から政策公開へ

最近、授業で政策評価が何回かとりあげられ、個人的にも政策評価制度の可能性と限界について考えてみた。

個人的な結論としては、政策評価が導入された意義は、①政策過程に行政以外のアクターを関与させるようになったこと、②それにともなって行政の領域の自明性や行政の無謬性が問い直されるようになったこと、の二つにある。

より過激に言い換えてしまえば、政策評価の目的は評価そのものにあるというよりも、評価制度を通じて、「公共性の聖域」となっていた行政を、改革の遡上にあげることだったのではないか、ということである。

いま政策評価をめぐる議論で問題となっているのは、どうやって行政を客観的に評価するか、ということである。だが、そもそも評価というものは、完璧な客観性・中立性を担保することは不可能だ。

たとえば、評価に必要となる資料はすべて行政が持っているので、都合の悪い資料が出されない可能性がある。さらに行政の仕事の領域は、非常に広範に渡るし、専門的であるため、評価機関・評価者には大きなマンパワーと高度な専門知識が要求される。それゆえ、質の高い評価を行うためには、専門知識を持つエキスパートを大量に確保する必要があり莫大なコストがかかる。

また、行政の仕事を定量的に評価するということにも限界がある。たとえば、外務省が「首相が中国に訪問した効果として、中国首脳との関係が改善された」ということを定量的に示すことは不可能だろう。行政にはこういった類の仕事がたくさんある。このような情報(資料)の非対称性とマンパワーの限界、定量化の限界などにより、「評価の不可能性」が明らかになる。

もちろん、コスト分析ができるような領域においては、評価はより容易にできる。たとえば、公共交通機関や公共施設の経営などがそうだ。だが、わかりやすい評価基準があるような行政の事業は非常に少ない。そもそも、そういった事業は民間にもできるようなものが多いから(民間のバス会社や美術館もたくさんある)、それらは民営化すればよいだろう。言い換えれば、行政のコアの仕事はほとんどが評価しにくいものなのである。

そこで浮上しているのが、「行政に評価はそぐわない」という議論である。最もよくあるのは、行政の仕事は「効率性」や「経済性」という枠では扱えない課題に対応するものであり、「業績評価」のようなものとは相容れないという批判である。


もっともな批判である。そして、評価の客観性や厳密性を追求する政策評価の研究者はこのような批判に十分に答えられていない。

だが、先述したように政策評価の意義は、「評価」そのものにあるのではないと考えたらどうだろうか。評価によって、行政の情報公開が進んだり、政策過程に民間人が関与するようになる。これらを通じて行政の無謬性が否定されて行政文化が変わること、そして政治・行政・民間のあらゆる人々が行政の領域を再考する機会を持つこと、ここに政策評価の意義があると考えるべきではないか。

私は、政策評価が「評価の不可能性」から脱するためには、政策評価を「目的」ではなく、「手段」として再定位されるべき思う。そうすれば、評価の客観性や厳密性が不十分であるとか、行政は評価にそぐわないといった政策評価批判に反論することもできるだろう。

そのような意味で、「政策評価」という言葉も時代遅れになったといえる。情報公開や政策過程のオープン化などにフォーカスすれば、「政策公開」という方が適切だろう。政策評価法制定から7年がたった。いまこそ政策評価から政策公開へとシフトすべきときなのではないか。

2009年5月25日月曜日

【書評】上山信一(監修)『行政の経営分析』時事通信社、2008年

監修者の上山信一は、僕が大学の学部の頃からお世話になっている先生で、現在はSFCの教授を務める傍ら、橋下徹大阪府知事のブレーン(大阪府特別顧問)として橋下改革を支えています。

この本は、上山先生が05~07年度の間に行った大阪市改革に関して、その改革手法を詳細に明らかにしたものです。


上山先生いわく、行政改革において最も重要なことは、「一にも二にも情報公開」。情報公開の重要性は、情報公開法が制定されたこともあり、比較的理解されてきました。

しかし、「いったいどういう情報を公開すべきか」はこれまで明らかにされておらず、本書はこの問題について答えを出すことを目的に執筆されたようです。そしてその答えこそ、本のタイトルにもなっている「経営分析」にあるのです。


行政の経営分析とは、「民間企業の経営改革で使われる経営分析の手法を行政改革に応用する」ものであり、

その大きな特徴は、「各部局の事業を市長と市民の視点から第三者的に評価する」ことにあります。

そして本書のテーマとなっている大阪市改革において、この「行政の経営分析」を主導したのは、民間企業の経営分析に実績のある経営コンサルタント(おそらく上山先生の出身企業であるマッキンゼー関係者)でした。

この本の特徴は、とにかく改革の事例が多くて、しかもかなり詳細であること。「あ~マッキンゼーが行政改革するとこうなるのね」と思わず言ってしまう、徹底的なデータ分析&定性分析の数々。これだけのデータを集めた、市役所の官僚は偉いし、官僚を働かせた上山先生もすごい。

上山先生は、よく「公務員をターゲットにして本を書いている」と言っていて、この本もその例外ではなく、行政改革に迫られた官僚がすぐ次の日から改革に応用できるような事例がたくさん載っています。しかも改革の内容だけでなく、プロセスの記述に力が入れられているので、改革のWHATよりもHOWを知る上で非常に有益。一般向きではありませんが、行政だって民間と同じ手法で改革できるのだというのを実感するには最適の本です。

行政改革に興味がある方は、ぜひぜひ読んでみてください。